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猫の話

猫とのお別れ3~旅立ちの後に~

2023年6月4日

実家で飼っていた猫のモモ(仮名)が亡くなってから約3週間が過ぎました。

亡くなる1か月前からお別れの日までのいきさつはこれまで書いた記事の通りです。
(関連記事)「猫とのお別れ1~最期の一か月~」
(関連記事)「猫とのお別れ2~最期の一日~」

慢性腎不全だったので来るべき日へ向けての覚悟もしていたのですが、やはり「モモの死」という現実を前にすると解消しきれない思いがどんどん出てきます。

今回の記事は気持ちの整理の意味も込めて書いているので、読む人によってはツラく感じるかもしれません。そのあたりをご理解の上、この続きはお読みください。

最期の一週間をひたすら思い出す日々

モモの体調が悪くなってから、私は実家に帰っていました。モモがいなくなったからとすぐに自宅に帰る気分にはならなくて、一週間は実家で過ごすことに。

そうすると、やはり事あるごとにモモを思い出すのです。

別れの翌日

昨日の今頃はモモが自分で歩けた最後だった。

昨日の今頃はモモが息を引き取った頃だ。

昨日の今頃はモモと火葬場に向かっていたなぁ。

このように、亡くなった翌日は「昨日の今頃のモモはこうだった」ということばかりが頭に浮かびました。

別れの二日後から一週間後まで

その後やってきたのは「一週間前はこうだった」という周期。

一週間前のモモはまだ家中を歩きまわることができたなぁ。

一週間前はまだ自分でエサを食べることができたんだよなぁ。

一週間前から足取りがふらつくように…。

トイレに間に合わなくなって…。

痙攣するようになって…

生きているモモの記憶を刻み付けるかのように一週間前のことを思い出す日々。

亡くなってからの数日は一週間前を思い出してもそこまでツラくはなかったのです。

弱ってはいても脳裏に浮かぶのは私が知っているモモの姿。水も飲んでいるしおしっこもきちんと出ているので、このまま病院に通ってエサさえしっかり食べればまた元気になると信じていた頃です。

モモの慢性腎不全の症状があまり良くなかったのですが、モモが頑張ったので走り回れるほど元気になりました。

えいえむ

そのうちブログにこのようなモモの記事をかけるのだろうと心から思っていました。

けれども亡くなって6日が過ぎてから一週間前のモモの姿を思い出すと、この世に片手でぶら下がっているように感じられて胸が締め付けられるようになってきたのです。

最初は肉球全体がこの世にあったのに、半分がずり落ちて、爪だけで辛うじて引っかかって、やがて…。

今になって振り返ってみると、この頃からの一週間が私自身の苦しさのピークだったように思います。

襲い来る後悔と罪悪感

モモが亡くなった一週間後に自宅に帰ったのですが、一人で考える時間が増えたためでしょうか、次から次へと後悔と罪悪感が襲ってくるようになりました。

モモをもっと早く病院に連れて行っていたら。

薬を飲んでいないことにもっと早く気づけたら。

強制給餌のタイミングがもう少し早かったら。

私たち家族なりにモモのことを考えて、その時々にできる範囲で精一杯のことをしたという自負はあるのです。それでも、もっとできることがあったのではないかという思いが湧き上がって来ます。

ただ、後悔の気持ちが私に与えたダメージはまだまだ軽いもので、本当に悩まされたのはむしろ「罪悪感」の方でした。

二つの罪

とくに私を苦しめたのが、モモの痙攣の原因と別れの際に浮かんだある考えについてです。

痙攣(けいれん)の原因は私だったのではないか

モモがこの世にいた最後の夜、いつものように強制給餌をしていた時のこと。先日の記事にも書いたようにモモは痙攣をおこしました。

その後に調べてみるとどうやら尿毒症という症状のようでした。尿毒症とは体にたまった毒素がうまく排泄されない状態のようで、毒素が脳にまで回ると痙攣がおこるそうです。
(参考にしたHP)「体内に『毒』がたまって、ついには死に至る!コワイ猫の『尿毒症』」・猫との暮らし大百科

あの夜に強制給餌をした時に今までのない嫌がり方をして必死に逃げようともがいていた。激しく動くようなことをさせなければ毒素が回らずにモモは痙攣をしなかったかもしれない。

いつも起きてすぐにトイレに行くのだから、モモにまかせておけばおしっことともに悪いものは排出されていたはずだ。そうなれば、翌日に病院にいくこともできだし今頃は元気に走り回っていたにちがいない!

私の判断ミスでモモは死んでしまった…

えいえむ

その考えが頭から離れないのです。

また先ほどの参考HPには熱中症でも腎機能が低下すると書いてありました。

数年前の夏にモモは暑さでぐったりとしたことがあったのです。日曜だったことから家で様子を見ていると元気になったので、結局は病院に連れて行くことはしませんでした。

けれども、それを放置したので腎臓が弱ってしまったのかもしれない、その時に病院で検査をしていたら数年早く慢性腎不全だと気づいて対策できたのではという思いが拭えません。

そして、その時に病院にいかなくても大丈夫なんじゃないかと呑気に言っていたのは紛れもない私。

やはりモモの命を縮めたのは私だ!

えいえむ

私がモモを殺したのだ、モモごめんねとの無限ループは止まりません。

次の猫を飼うとしたら

私は氷河期世代・ロスジェネ世代と呼ばれる年齢、両親は団塊の世代の人間です。幸いにして今のところ両親は大きな病気もなく過ごしていますが、そう遠くない日に介護などが必要になる可能性は十分にあります。

そうなったら両親のことで精いっぱいでペットを飼う余裕などないに違いありません。

だから私がペットと一緒に生活をするのはモモが最後だと決めていたのです。そう決めていたはずなのに、モモに残された最後の数時間に何度となくこんな考えが浮かんできたのです。

最近の猫は20年以上生きる場合も多いのだとか。今から20年だと私は60代後半なのでもう1回だけなら猫を飼えるかもしれない。両親に介護が必要になったとしても介護サービスなどを利用すればなんとかなるのでは。

モモが必死に生きようと頑張っている時に私はまた猫を飼うことができるのかとの皮算用をしていたのです。これ以上モモに失礼なことはありませんよね。

しかもその日のみならず、モモが亡くなった後も2週間程度はこの考えが頭に浮かんできたのです。モモには謝っても謝り切れません。

冷静になるとわかる

もし私が「私の友人の立場」だったとしたら、この時の私にどんな言葉をかけるでしょうか。

モモちゃんは別に無理に強制給餌をされたから痙攣したのではないよ。ちょっと動いただけで痙攣してしまうほど体に毒素がたまっていたのだから、誰がどうやってもモモちゃんを助けることはできなかったんじゃないかな。

次の猫のことを考えてしまったのもモモちゃんとの生活が楽しかったからで、モモちゃんのいない心の隙間をうめようと防衛反応みたいなものなのかもしれないね。

たぶん、このような感じになるのではないでしょうか。

もしかしたらこの言葉は、自分の心が慰められるためにかけてほしい言葉なのかもしれません。実際に私の友人たちにモモの死を伝えた時も同じようなことを言ってくれました。

ただ冷静になるとわかるのです。この言葉が実際とそれほどかけはなれていないのだということを。

3週間が過ぎて

この記事を書いている時点でモモとさよならをしてから約3週間になります。さまざまな心の葛藤を経て今はようやく落ち着いてきました。

もちろん今でも後悔はおそってきます。でも、それはもっとモモと一緒に過ごしたいという気持ちの裏返し。心にわきあがってくるのはごくごく自然なことです。

罪悪感も同様で、モモが好きだからこそ湧き上がる気持ちだと思えるようになってきました。心を癒すのには日薬が必要だとはよく言ったものです。

そして、3回にわたってモモのことを書いたことでようやく気持ちの整理がつきました。私が心の中でずっと引っかかっていたのは特に「罪悪感」の部分。そこに至る状況や心境を書くことでモモに謝りたかったのでしょう。

この記事がモモに届いているのかはわかりませんが、とりあえず心にあるモヤモヤは取れてきました。

読んでいても楽しい記事ではないのにここまで読んでいただきありがとうございました。

モモやその前に暮らしていた猫のチョコ(仮名)と過ごした時間はとても楽しかったので、今後も思い出話として登場することがあるかと思います。その時はまたお付き合いいただけたら嬉しいです。

  • この記事を書いた人

えいえむ

アラフィフ非正規おひとり様/ブログは2006年から(長い休止期間を含む)/

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