私の実家では猫を飼っていました。モモ(仮名)という15歳の女の子。やんちゃで甘えん坊で、暇さえあれば遊ぼうと言いたげにすぐ近くに寄ってくる姿がとても可愛くて…。
けれども、つい最近なのですがお別れの日が来てしまいました。
この記事ではモモとの最期の一か月について書いています。
とにかく書くことで自分のモヤモヤしている気持ちの整理をしたい。
時間が経てば薄れていくだろうモモとの最期の記憶を残しておきたい。
そのような気持ちから書いているので、誰かの役に立つものでもなければ読んでいて楽しいものでもありません。場合によっては、ただただ悲しくつらい思いをするだけになるかもしれません。
それでもいいという方だけこの続きはお読みください。
これまでのモモの状況
モモは昨年に体調を崩したことがありました。一週間近く何も食べないし痩せてしまって足取りもよろよろとした状態。
病院に行ったところ、結果は慢性腎不全。腎臓病用のフードに切り替えて毎日2回ほど薬を飲むようにとお医者さんからは言われました。
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けれども、相手は猫なので思う通りにはいきません。最初こそ、エサの中に紛れ込ませた薬を1日に1回は飲んでくれていたのです。
それが2日に1回になり、3日に1回になり、週に1回へ。
これはまずい。モモのためにどうしてあげるのが一番いいのかな。
家族で話し合った結果、無理はさせないことに決めました。
猫の平均寿命は12~18歳だそうです。(「猫・平均寿命」の検索結果より)
モモは平均寿命ほど生きているのだから、できるだけ嫌がることはしないようにしよう。
強制給餌や口の中に直接薬を入れて飲ませるのはあくまでも最終手段。たとえ一口でも自分で何かを食べようという気力があるのならそれにまかせるし、週に一度でも薬を自分で飲むのならば見守ろうという方針です。
薬を飲むペースは落ちましたがモモの食欲は旺盛。水もごくごく飲んでいます。お気に入りのキャットタワーや棚の上にも元気にジャンプ。
とても穏やかで幸せな時間でした。
1か月前の異変
モモが亡くなる1か月前頃でしょうか。そこでようやく気付いたのです。
最近、モモが薬をまったく飲んでいないような…。
家族の記憶を合わせてみたところ1か月近くは飲んでいないことに気づきました。
その頃、私は新しい職場に移動となり毎日疲れ切っていて実家にあまり顔をだせなくなっていました。
折あしく両親もそろって体調不良に…。実家に帰ったとしても両親の心配が先に立って、状態の安定しているモモのことは後回しになっていました。
大慌てで何とかモモに薬を飲ませるべく手を尽くしたのですが、どうやっても自分では飲んでくれません。そこでようやく強制的に薬を飲ませることになりました。
それでも、薬を飲まないこと以外、モモはいつも通りに元気に走り回っていました。
2週間前に夜鳴きが始まる
両親から実家に帰ってきてくれないかと連絡があったのは、モモが亡くなる約2週間前のこと。
モモが急に夜鳴きを始めたのだとか。というよりも、起きている間は誰かが隣にいて声をかけたり撫でたりしないと鳴き続けるのというのです。
実家に帰ると、モモの鳴き方は想像よりも凄まじいものでした。私のイメージでは「ニャー」といつものようにかわいく鳴くのかなと思っていたのです。
けれども、モモのところから離れると途端に「ブニャー」という鳴き声が! 横に戻るまでは声の限りに叫び続けます。時には何か悪いものが憑りついたのではと思わせるほどでした。
その調子で夜も鳴くわけですから、モモを一瞬たりとも一人にするわけにはいきません。実家に泊まりこみ、両親とともにモモの様子を見る生活が続きました。
この状態では一人暮らしを続けるのは無理だな。親も高齢だし借りている部屋は引き上げないと。
そんなことを思いながらモモを撫でて寝落ちする日が続きました。
1週間前についに食欲が…
誰かが隣にいないと鳴き続けるモモですが、元気がなくなったわけではありません。
階段を上り下りしたり、窓から外を眺めたり…。
けれども、それは永遠には続きませんでした。亡くなる1週間前頃から、明らかに食欲が落ちたのです。
食欲が落ちたというよりも、食べたいのに食べることができないと言う方が正しいのかもしれません。何か食べたそうにエサ入れの前に来るのに、においを嗅いでは立ち去っていくのです。
それからはモモの食べられそうなものを探し回りました。いつもと違う種類のフードを片っ端から試してみたり、いつものドライフードをすりつぶして与えてみたり。
それでもどうにかこうにか口に運んでくれるのは気休め程度。それすらも口に入れてくれなくなって強制給餌を決断した頃には、トイレに行くのすらおぼつかないほどに足が弱っていました。
ここでおしっこをしてもいいよ。
トイレ用のシートを目の前に置いてやってもいつものトイレの場所に行こうとします。結局は間に合わずに床を濡らしてしまうのですが、最後まで自分で頑張ろうとする姿が何といじらしいことか。
おしっこの片づけをすることも鳴き続けて眠らせてもらえないのも、今にしてみれば幸せの形の一つだったのだと思わされます。モモが生きているからこそできるのですから。
そうこうしているうちにお別れを覚悟しなければならない時がやってきました。
少し書き疲れてきたので、続きは後日に書こうと思います。ここまで読んでいただきありがとうございました。