実家で飼っていた猫のモモ(仮名)が慢性腎不全で亡くなってから数か月。月日の経つのは早いものです。
ときどき実家に帰って泊まるのですが、モモの気配がすることがあるのです。時には姿が見えたり鳴き声がしたりすることも。
私は霊感など全くないタイプでこれまで死んだものの気配がするなど一度たりともありませんでした。それなのになぜ私はモモと再会できたのでしょうか?
モモとの再会の状況やそこから考えたことなどをまとめました。
死んだ猫の鳴き声がした
モモが亡くなって3週間後ぐらいからその気配を感じるようになったのですが、確実にそこにいるのはモモだと初めて感じたのは鳴き声を聞いたときでした。
それはモモの死から1か月後ぐらいのこと。玄関のあたりでブニャーという声がするのです。
モモは子どもの頃に脱走をしたことがあり、その時に味をしめたようで外に出ることが大好きでした。あまりにも外に出たがるので、毎日1回は散歩をさせなければいけないほどです。
散歩に行きたくなると、モモは玄関でニャーと鳴きます。けれども、いつもすぐに相手にしてあげられるとは限りませんよね。今している用事を優先させてモモが後回しになることも。
すると途端にモモはご機嫌斜めになるのです。
モモが呼んでるのに何で来ないの?
一緒にお外に行こうよ。
ねえ、まだ?
そういう時のモモの鳴き方がまさに「ブニャー」。玄関と言う場所といい鳴き声の感じといいどう考えてもこれはモモとしか考えられません。
モモに噛みつかれる
ところが、モモの49日が過ぎた頃にパタッと気配を感じなくなりました。再び対面をしたのは、初めてのお盆を迎える直前でした。
その晩、私は実家に泊まって眠っていました。夜中の3時ごろだったでしょうか。うつ伏せになっていた私の背中の上にドンと何かが飛び乗ったのです。
急な重みに目が覚めると、今度は肩のあたりをガブリとかぶりつく気配がします。 振り返ると、怒りにうち震える目をしたモモの姿が!
頭を撫でてやるとご機嫌になって部屋から去っていきました。後にも先にも怒るモモの気配がしたのはこの時だけです。
それをきっかけにしてモモが歩く気配がする、首輪の鈴の音がする、ちょこんと座っている姿が見えるなどが続くようになりました。
死んだ猫の気配がする原因を考えてみた
モモの姿を私が見た時期を考えると、先ほどにも書いたように二つの時期に分かれます。
この状況から考えると、モモの気配がするのはこれが原因かなと思い当たることがあるんですよね。
モモの気配がする理由・その1
最初にモモに会えた時期は死の3週間後から49日が過ぎた頃のこと。以前の記事でも触れたようにようやくモモに対する後悔や罪悪感から解き放たれて、その死を受け入れられるようになった時期でもありました。
その一方でモモがいない状態にはまだ不慣れな状態。床の拭き掃除シートを買う時もいつもの習慣でペットが舐めても安心なものを探してしまいます。もう何を選んでも関係がないのにと気づいて、モモはいないんだなと寂しさが押し寄せます。
毎日どこかでモモのいない寂しさ々を感じる日々。また、会いたいなぁと何度思ったことでしょう。
モモの気配を感じるのはまさしくコレ! 身も蓋もない言い方をすると、モモに会いたい気持ちがモモの気配を感じさせていたのではないでしょうか。
大切なものの死を受け入れてその寂しさが通り過ぎるまではある程度の時間がかかるもの。それまではわずかな風の流れをモモが通ったと感じたり家鳴りのかすかな音をモモの声と感じたり…。
私が霊感のカケラもない人間であることから考えると、現実的にはこうなのだろうなと思います。
モモの気配がする理由・その2
一度消えたモモの気配が再びするようになったのは初盆の直前。この頃にはモモと過ごした日々が思い出に変わりつつあり、猫のいない生活が日常になりはじめていました。
再びモモの気配がした前日、実は両親とモモの墓参りに行くかどうかという話をしたのです。
以前飼っていた猫のチョコ(仮名)に対してはお盆や命日に墓参りをしたことがなく、いつも家で花を飾ったり手を合わせたりしていました。それなのに、モモが亡くなった時にだけ行くのはどうなのだろうか。
モモとチョコは同じペット供養塔にいるのですが、このタイミングでの墓参りは扱いに差をつけているような気がして行かないことに決めました。モモが怒って現れたのはその晩でした。
お墓参りに行かない理由はきちんとあるのです。でも、大事でないから来ないとモモに思われるのではとの思いが心の中から消えてはくれません。
モモとの生活が思い出に代わっていくことは当たり前のこと。けれども、思い出に代わることが私の現在から消えることのように思えて心苦しさを感じずにはいられないのです。
最近にモモの気配を感じるのは、おそらくは忘れることへの後ろめたさからくるのだと思われます。
死んだ猫の気配を感じる理由は自分の中にある
「会いたい気持ち」や「忘れる後ろめたさ」を感じるのは、結局は猫に対する愛情ですよね。モモに対する気持ちから、空気の流れや何気ない音にその気配を感じるということなのでしょう。
残された家族があまりに寂しがるのでモモが様子を見に来たと思うと、心配をかけてごめんねという気持ちになります。まだ虹の橋へ出かけていないのだとすると、何か成仏ができないようなことがあるのだろうかと不安になります。
「モモへの愛情が会わせてくれた」と考えると自分の心が最も穏やか。それならそう思っているのが一番ですよね。
死んだ猫の気配がした理由をいろいろと考えてみましたが、これはあくまでも私の想像です。証明する方法はありませんが、たぶんこれは私にとっての正解です。
自分にとっての正解を見つけよう
この記事を読んでいる方は、死んだ猫の気配を感じた体験がある人が多いのでは? 数学の計算には決まった答えはありますが、この問いには特定の答えはないのだと思います。
自分の中で一番すっきりするものがあなたにとっての正解。大好きだった猫ちゃんのことや気配を感じた時の状況をたくさん思い出して、自分なりの正解を見つけてみてくださいね。