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人生の折り返し地点に立つと「二人の稚児」(谷崎潤一郎)の見え方が変わってきた

学生時代に読んだ本の中には、あれから数十年も過ぎているというのに自分の記憶の中でいまだに息づいているものがあります。タイトルもうろ覚えで内容も断片的にしか覚えていないのに、印象に残った場面とか読んだときの気持ちとかリアルによみがえってくるんですよね。

そのような作品の一つが谷崎潤一郎の「二人の稚児」という短編小説です。

約半年前に体調に合わせてのんびりと働く生き方に軌道修正したのですが、その影響もあるのか最近なぜかこの作品のことを思い出しました。そして登場人物への解釈が若い時とはかなり変わってきたように感じるのです。

「二人の稚児」とは?

少しだけ「二人の稚児」とはどのようなお話かを紹介しますね。

女人禁制の比叡山の寺で幼き頃から修業をする二人の稚児の物語なのですが、二人は少年から青年に差し掛かるころに別々の道に進みます。

年上の稚児は女人への憧れから山を抜け出して俗世間の幸せの道へ。

年下の稚児は女人へのあこがれを持ちながらも寺に留まり修行の道へ。

今となっては手元にこの本がないのですが確かこのような内容だったかと思います。

なぜその生き方を選ぶのだろう?

大学生の頃にこの作品を読んだ時には私は年下の稚児の行動にモヤモヤしました。女人への憧れがあって寺の外の世界に興味があるのにもかかわらず、何も行動を起こすことなくただ悶々としているだけだったからです。

確かに修業をするという稚児の身では、寺という環境の中で決められたルールを守って粛々と生きていくのが正しいのかもしれません。しかし、彼はまだ10代で目の前には無限の可能性があります。それならば何も閉ざされた空間にこだわらなくてもよさそうに思えます。

また、彼には明確に女人への憧れという煩悩がありました。それが振り払えているわけでもないのに寺に居続けるのがまるで体裁を保っているみたいだなとも感じました。

身近で一緒に過ごしていた年上の稚児は、煩悩に従ってお寺から脱走するという強硬手段にでます。そして紆余曲折をしながらも幸せを手に入れました。その状況を年下の彼は手紙を通じて知っているだけに、それを参考にして何らかの行動はとれるだろうにという歯がゆさを当時の私は感じました。

「憧れの世界」と「幸せ」が一緒だとは限らない

けれども、人生も半ばになると思うのです。確かに外の世界はキラキラとまぶしくて美しく見えます。しかし、そこに行ったからと言って自分もキラキラと輝けるかというとそれは別問題なんですよね。

実際に私も10代の頃に自分の住む世界とは違う華やかな世界に憧れたことがありました。

私が10代の頃はテレビではトレンディドラマが全盛期。若い女性が都会のおしゃれなマンションに住んで、一流企業で働き、仕事が終われば行きつけのバーで仲間と待ち合わせてお酒や会話を楽しむような姿が当たり前のように描かれていました。

(私も大人になればあんなふうなキラキラした毎日になるのかな)

ところが、実際に大人になってみるとそれは私にはまったく向かないものでした。

(お酒を飲んでも美味しくないし、大勢で騒ぐのは好きではないし、食事やお酒の場では妙に気を使うし、体力がないので仕事終わりはまっすぐ帰りたいし……。)

私はどうやら波長のあうごく少数の人と静かな空間でまったりと過ごすのが好きな人間なのだと気づきました。テレビで見る華やかな世界というのはあくまでもその中で過ごすと幸せや楽しさを感じる人が多いというだけのこと。すべての人が幸せに感じるわけではなかったのです。

居心地のいい場所は人それぞれ

何となく感じたことなのですが、おそらくはこの年下の稚児は私と同タイプなのだろうと思うのです。

外の世界に行って憧れの女人と会ったとしても、どう接してよいかわからなかったり緊張したり相手にされなかったり利用されたりして常に心がざわめき続けて苦しんだのではないでしょうか。

だから、思い切って外の世界に飛び出したとしても早々に退散して寺に戻ってきそうな気がします。そして、外の世界での自分を考えた時に幸せな未来ばかりが見えるわけではないから、彼は外の世界に出ることができなかったのかもしれませんね。

ある意味では彼は10代にして自分の向き不向きをわかっていたのでしょう。大人の僧侶とかと接することも多くて人生を達観している部分もあったのでしょうか。

感情で落とし込むのには時間がかかる

私は年下の稚児は寺という閉鎖された空間の中でその世界のルールに則って生きていくのに向いている人だと思っているし、そうすることで幸せをつかむタイプの人ではないかと思ってもいます。

ただ、やはり一度は寺を離れる経験をしたほうが早く幸せになれるのではとも感じました。

俗世間での人間関係は彼にとっては苦労の連続だと思うのですが、それだからこそ「ここは自分のいる世界ではない!」ときっぱりと見切りをつけることもできると思うのです。

でも、寺に居続けるとそれができません。たぶん自分は外の世界に向かないのかなと思いながらも、どこかで憧れが残っていて消えてくれない感じです。理屈ではわかるけれども感情が追い付かないというパターンですね。

彼のその後はどうなったのだろう

この稚児のその後はどのような人生になったのでしょうね。おそらくはそこまでは物語は書かれていなかったと思うのですが、それなりの高僧にはなったのだろうと感じます。

かつての彼は、仲間である年上の稚児と自分が「外の世界」に憧れを持ちながらも真逆の道を歩くという経験をしました。そのため自分が稚児を指導する立場になった時には、どちらタイプか見抜けてそれに合った指導ができるようになっていたら素敵だなと思います。

学生時代の私には彼の選択は理解しづらいもので「なぜ」と不思議に感じました。しかし、今の私は「幸せの形もいろいろあるからそういう生き方もあるよね」と彼を応援してあげたい気持ちでいっぱいです。

私の予想通りか違うのかはわかりませんが、自分にあった道で彼が輝いていてくれたらいいですね。

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えいえむ(詠山依麦子)

アラフィフ非正規おひとり様/日常のこと、読んだ本の感想、ブログ運営の悩み、飼っていた猫の話などが多めの雑記ブログです/

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