人によって読書の好みは様々ですよね。そのため、読書が好きでも有名作家の作品を読んだことがないという場合が存在します。私にとっては湊かなえの作品がそのパターン。今回、初めてチャレンジしたのが『物語のおわり』(朝日出版文庫)なのですが読後感がすっきりした作品でした。
なお、記事中にはネタバレを含みますのでご注意ください。
『物語のおわり』とは?
『物語のおわり』とは、未完の小説「空の彼方」を手にした人々が自分の人生と重ね合わせながらそれぞれの結末を考えていく物語です。
北海道をひとり旅した5人の悩める人々。「空の彼方」はその人々にリレー形式で渡されていきます。10代の女の子から病を宣告された妊婦へ、その妊婦から夢をあきらめて実家を継ぐことになった青年へ。以下同じような形で引き継がれていきます。
「空の彼方」を渡された人々は、年齢・性別・職業・悩みがそれぞれ異なる人々。その人々が自分の人生経験をもとに「空の彼方」について考察し、自分なりの小説の結末を見つけ出します。小説について考えることがそれぞれの悩みの解決につながっているところが印象的でした。
「空の彼方」に思うこと
『物語のおわり』を味わう中で、なくてはならないものが「空の彼方」という未完の小説です。その内容は次のようなものでした。
「空の彼方」とは
絵美は山間の小さな町に住む女の子。中学生の時に実家のパン屋を手伝っていたところ、馴染みの客に交際を申し込まれて親公認の仲となりました。
数年後、二人が結婚を控えた頃に絵美は結婚を待ってほしいと言い出します。趣味で書いた小説の才能が認められてプロを目指す話が舞い込んだためでした。
婚約者も親も猛反対。プロをあきらめきれない絵美は町を出ようと駅に向かったのですが、そこには婚約者の姿が……。
「空の彼方」はこの場面で終わっているのです。続きはどうなるのだろうと想像をかきたてられますね。
もし10代の頃に読んでいたら
もし10代の頃に「空の彼方」を読んだとしたら、きっと私は絵美の境遇に憧れただろうと思うのです。
・平凡な女の子なのにほのかに思いを寄せていた人から告白される。
・彼は優しくていつも自分を大切にしてくれる。
・実家のパン屋を手伝いながら結婚の日を待つという穏やかで充実した毎日を過ごす。
小説を書く才能にめぐまれてプロになる話が出てくる。
普通に生活をしていただけで、白馬の王子様が現れたり作家になる道が開けたりということはなかなかないですよね。まるで少女漫画の世界のように恋に恋するお年頃の憧れがギュッと詰まっています。
それだけに、絵美に激しく感情移入をしていたと思うのです。小説家になる道を反対する両親や婚約者には、なぜ絵美が夢を追うことを応援しないのかと苛立ったことでしょう。
現在の私が感じたこと
しかし、現在の私が「空の彼方」を途中まで読んで感じたのはとんとん拍子にも程があるということでした。
自分にとって都合のいいことばかり人生に起こるはずはない。どこかで困難に出会うはずだ。
それなりに生きていれば誰しもが感じることですよね。
けれども、私の場合はそれだけではないのかもしれません。自分の人生と比較した時に、何もかもが上手くいっていてうらやましいという嫉妬心もどこかにあるように感じるからです。
だから、絵美が小説家になることを反対された時は「そうなるよね」という気持ちになりました。また、駅に婚約者の姿があった時には「この状況は、婚約者は連れ戻しに来て当然!」とも思いました。
客観的な立場で納得する感覚と、「ほら、やっぱりね」と内心で舌を出す感覚。我ながらひどい人間ですね。
このような感情を持った私にとって、もっとも引き付けられた「空の彼方」の考察と結末はあかねのものでした。
あかねが「空の彼方」で見た世界
あかねは就職氷河期に社会に出た40代の独身女性。脚本家を目指す彼と30歳にして別れた過去があり、その恋を現在まで引きずっていました。
「空の彼方」に対する解釈以前に、私はあかねという人物に強くひきつけられました。同世代で同じ時代を生きてきただけに彼女の生きざまがリアルに想像できたからです。
あかねの人生を想像する
あかねが大学を出て就職したのはバブルの余韻が残る時代で、氷河期の中でも前半の頃だったのではと思われます。
男女共同参画社会という言葉ができ、就職試験の際に「総合職は男子、女子は事務職のみ」といった募集のかけ方は今でこそ禁じられているが、当時はそれがまだ当たり前のように行われていた。
『物語のおわり』・湊かなえ(朝日出版文庫)
このような表記からもそれはわかりますね。あの時代の就職活動は以下のようなものでした。
企業から資料を取り寄せようとしても女子にはなかなか送ってもらえない。説明会参加に電話予約しようとしてもつながらない。何枚も書くエントリーシート。時に遭遇する圧迫面接。採用人数は若干名。
このような試練を乗り越えて就職しても、あかねのように向上心の強い女子は生きづらかったはずです。女性は20代で結婚して寿退社をするものという価値観の人が存在したり、30代ともなるとお局様扱いで疎まれたりもまだありましたよね。
働く女性に厳しい社会の中で、あかねは課長という肩書を手にいれます。しかし、二度の入院や失恋など代償もありました。
何もここまで仕事に必死にならなくてもという人もいるでしょう。けれども、ひと昔前の価値観の中だと働く女性にはこういうところがありましたよね。「立ち止まったらキャリアを失う」「しんどいのは自分だけではない」などと言い聞かせながら彼女は社会を生き抜いてきたのかななどと想像します。
辛辣な考察
仕事に真剣に向き合って努力を重ねてきたあかねにしてみれば、「空の彼方」の主人公など甘く見えて仕方がないのでしょう。絵美は10代の女の子なので未熟なのは当たり前なのですが、あかねは彼女に対して容赦がありません。
絵美が嫌いだと言うにとどまらずさらに核心をついてきます。
素敵な二択に困っちゃう。……一生、困っていればいい。
『物語のおわり』・湊かなえ(朝日出版文庫)
この部分を読んだ時、とてもスッキリとした気持ちになりました。もやもやしていたけれど形にならなかったこと、思ってはいけないと飲み込もうとしていたこと、それが言語化されたように感じたのです。
あかねが絵美について評した言葉は他にもあるのですが、どれも厳しいものばかり。それでも私が感じたことに通じる部分もあって、こんなふうに思ってもいいのだと安心しました。
その一方で、あかねが出した「空の彼方」の結末は意外なものでした。私にはまったく思い浮かばないものだったからです。
意外な結末
絵美との生活のために地元で就職をした「空の彼方」に出てくる婚約者。ただ真面目に現実を見つめながら生きていただけなのに、夢を追う絵美とすれ違っていく姿。
そこが、自分の人生と重なったのでしょう。あかねが描いた結末は、婚約者視点から描かれていました。
その結末に描かれた二人は、あかねと脚本家を目指した彼の運命に重なるところが多くあります。けれども、その中には希望がありました。
あかねが考えた結末を読むと、約10年も心のわだかまりとなっていた彼との別れに決着をつけることができたのだと思います。過去に捕らわれるのはしんどいですよね。これから前だけを向いて歩く彼女を応援したい気持ちになりました。
気になっていたことが解決した
北海道旅行をする人々の間で手渡されていった未完の小説「空の彼方」ですが、『物語のおわり』を読み進めるうちにある疑問が出てきたのです。
それは最初に「空の彼方」を手渡した10代の女の子は何者なのだろうということです。
旅人たちの間で交流が生まれ、あなたに読んでほしいと手渡されてきた「空の彼方」。手渡された側がどのような人生を送りどのような悩みを持っているかは描かれているのです。けれども、そのスタートとなった女の子だけは何も触れられずに話が進んでいきました。
この子が元気いっぱいな感じならばそれほど気にはならなったと思うんですよね。けれども、心に何かを抱えているのだろうという描写があるのです。それなのに、そこに触れられることはなく「空の彼方」を受け取る側の話がどんどん続いていくのです。
しかし、最後の最後になって私の疑問は無事に解決! また、「空の彼方」の本来の結末もきちんと記されていました。
このあたりには想像する余地を残してほしかった人もいることでしょう。でも、私の場合は気になっていたことが解決してスッキリしました。
冒頭にも書いたように、これまで湊かなえの作品には縁がありませんでした。イヤミスの女王という先入観が手に取ることを遠ざけてきたからです。
でも、食わず嫌いはダメですね。続きが気になってどんどんと読み進めたくなりました。読む前は個人的には苦手なタイプの本ではとひやひやしていたのですが、思いがけず好みにハマる作品と出会えました。
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