本日とりあげる本は開発社の『文豪のすごい性癖』(イースト新書Q)です。楽天ブックスでお安くなっていたので買ってみました。一通り読んだので、その感想などを書いてみようと思います。
『文豪のすごい性癖』とは
『文豪のすごい性癖』というインパクトのあるタイトルですが、性癖的な話題が出ているのは一部の人だけ。どちらかというと「文豪の恋愛模様を通して彼らの人となりを知ろう」というような内容の本でした。
明治から昭和20年代頃までに活躍した50人以上もの文豪たち。各文豪の恋愛エピソードを2~4ページ程度にまとめているので、ちょっとした空き時間などに気軽に読みやすいです。
紹介されている文豪を見ると、谷崎潤一郎や与謝野鉄幹など予想がついた名前もあれば意外な人物もちらほらと。
その中でも私が意外だなと感じたのは次の3人です。
田山花袋の『蒲団』の内容が意外だった
田山花袋については、自然主義文学を広めたとか『蒲団』という作品を書いたとかで有名ですよね。
でも、『蒲団』とはどういう内容なのかまで知っている人はいないのではないでしょうか。
『蒲団』について
『文豪のすごい性癖』の中では、『蒲団』のラストシーンを引用した後にこのような一文がつけ加えられています。
「いい歳をした中年男性が、惚れた女が使用していた蒲団に入り、その残り香を嗅ぎながら泣く……という何とも情けなく、かつ変態じみた行動だが、実はこの話は田山の実体験にもとづいたものだと考えられている」
『文豪のすごい性癖』開発社(イースト新書Q)より
『蒲団』が私小説であるとは聞いたことがあったのですが、未練たらたらで女性の好きな女性の残り香を嗅ぐ中年男性の話だとは思ってもみませんでした。
田山花袋のイメージとかなり違った
学生時代に国語の副読書で田山花袋の写真を見たことがあります。その写真は中高年ぐらいの年齢でいかにも文学界の重鎮だという貫禄のあるものだったように記憶をしています。
そのためでしょうか。田山花袋と恋愛という言葉が私の中でまったく結びつきません。もし失恋することがあったとしても「そんなこともあるさ」と潔く気持ちにけりをつけられるような印象を勝手に持っていたのです。
小説の中に投影されているのは田山花袋の実像の一部にしかすぎないのでしょうが、それでもかなり私が持っていたイメージとギャップを感じました。
平塚らいてうの心中未遂と若い燕の話が意外だった
女性の中で最も意外性を感じたのは平塚らいてう。特に以下の二つのエピソードはまったく知りませんでした。
二つのエピソード
心中未遂事件
妻帯者の森田草平(夏目漱石の門弟)とつきあっていた平塚らいてう。二人して心中をしようと栃木県の那須へ行ったが、幸いにも雪深い山の中で発見される。しかし、二人の関係性が文学講座の講師と教え子だったこと、男性に妻子があったことなどから新聞沙汰となる。
若い燕の話
奥村博史という5歳年下の画家志望の男性と恋愛関係になり、後に子どもが生まれるも事実婚の形態をとる。また、この男性の発言から「若い燕」という言葉が生まれた。
ちなみにこの本を読んだだけでは「若い燕」と男性の発言の関係性がわからなかったので、少し調べてみました。
当時、平塚らいてうは女性解放運動ですでに有名であり、同様の活動をする人や支援者などから二人の恋に対して横やりが入りました。
それを受けて男性が別れを決意した時に、らいてうへの手紙の中で自分を「若い燕」と表現したそうです。そこから「年上女性とつきあう男性」を「若い燕」というようになったのだとか。
もしも平塚らいてうの時代に生まれていたら
平塚らいてうについて私が知っていることと言えば、「原始、女性は太陽だった」とか『青踏』創刊に関わっていることぐらいです。
そのような情報から、現在でいうところのフェミニストとでも言いましょうか、女性の権利を守るために奮闘する強い女性というイメージがありました。だから、明治から大正という時代背景もあって恋愛よりも仕事に生きるという人だと思い込んでいたのです。
先ほどにあげた二つのエピソードは当時それなりに世間を騒がせたようです。心中未遂については妻子ある男性との不倫であるわけですから責められるのも当然ですよね。
けれども、若い燕との恋愛は何も悪いことはしていません。女性解放運動と恋愛の同時進行をしても何の問題もないのです。
それなのに平塚らいてうの行動が波紋を呼んだのは、その両立をするという発想がなかったり難しいと思っていたりするからなのでしょう。
恥ずかしながら私が彼女と同時代に生きていたなら、若い燕との恋愛に対して眉をひそめていたのかもしれません。
菊池寛と小森和子の関係が意外だった
先の二人については、その人と恋愛のエピソードの取り合わせが不思議という意味での意外性でした。しかし、菊池寛に関してはそのお相手に意外性を感じたのです。
小森和子とのエピソード
この本の中では、菊池寛は何人もの愛人がいたと記されています。その中で個人名があげられているのは小森和子さん。
小森さんが雑誌の編集部で働いていたところ菊池寛に気に入られたとか、彼女は性に奔放だったなどと書かれていました。
小森和子という名前で気がついた方がいるかもしれませんが、アラフィフ世代が子どもの頃にテレビに出ていた「小森のおばちゃま」のことです。
過去と現在がリンクしている感覚
小森のおばちゃまがテレビで話されていたことで、未だに覚えているものが一つあります。
みんなで海水浴に行った時に生理になってしまった。現在のような生理用品がなかったので、水着の中に綿を入れて海の中に入った。海から上がった時に、綿が水を含んで膨れ上がっていた。それを見てみんなから「君は男の子だったのかい」と言われた。
言い回しは違うかもしれませんが、このような話をされていました。
この話だけでも奔放そうだなというのは伝わりますよね。だから、愛人うんぬんということには驚きませんでした。驚いたのは二人に接点があったことです。
私にとっての菊池寛は、過去の文豪であり歴史上の人物です。一方の小森のおばちゃまは、活躍するさまを見てきた同じ時代を生きた人。
二人が付き合っていたと知った時に、現在と過去がリンクしているような不思議な感覚になりました。極端な話をすれば、月9ドラマに出ている女優さんと織田信長が付き合っていると教えられたような感覚です。
読後の感想
文豪の名前をみると、すばらしい功績を遺した人なのだからさぞかし人格も立派な人なのだろうと思いがちです。また、自分とは違う時代を生きている人なので考え方や感覚も違うのだろうと思うこともあります。
しかし、文豪たちも人の子。恋をして浮かれたり失恋をして落ち込んだりもするのです。
この本を読むと、文豪たちがまるで近所に住んでいる人のように思えてきます。受験勉強をしていた頃に文学者の名前と代表作を暗記しましたが、今頃になってその人たちに親近感を覚えるようになりました。