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森脇健児について語りたい~『ざまぁKANKAN』からミニマラソンを経て令和の時代へ~

2023年3月4日

あなたは芸能人の森脇健児さんを知っていますか? 最近の若い人たちにとっては、「テレビの特番でミ二マラソンを走る人」「松竹芸能の若手たちによくいじられている先輩芸人」などのイメージが強いかと思います。

しかし、現在40代の私にとっては、一時代を築いた人気芸人というイメージです。あの頃の輝きを知っている人も知らない人も、かつての森脇さんの活躍や現在の様子について振り返ってみましょう。

『ざまぁKANKAN』時代

平成初期を関西で過ごした4・50代の人間にとって、森脇健児さんという芸能人を初めて認識したのは『ざまぁKANKAN』という番組ではないでしょうか?

『ざまKAN』は夕方5時から生放送されていたバラエティー番組。松竹芸能の若手の方たちが出演されていました。

森脇さんは、同じ事務所であった山田雅人さん(『渡る世間は鬼ばかり』のベンちゃん役の人)とともに『ざまKAN』の司会をされていました。その頃の森脇さんはアイドル的な人気があり、生放送のスタジオ観覧には学校帰りの女子中高生たちが大勢いたのを覚えています。

詠山依麦子えいえむ
詠山依麦子えいえむ

夕方4時からはダウンタウンの『4時ですよ~だ!』、5時からは『ざまかん』を観るのが当時の女子学生たちのお決まりのパターンだったなぁ。

正直にいうと、番組の内容やコーナーはあまり覚えていません。けれども、番組全体に上昇気流に乗っている芸能人ならではの活気が漂っていて、観ていてとても楽しかった印象は残っています。

その中で、断片的に今でも覚えているのは以下のような出来事です。

コール&レスポンス

『ざまKAN』の中では、森脇さんと観客によるお約束となっているコール&レスポンス的なものがありました。

森脇:OK?

観客:ラジャー

森脇:グー、シュート、ビューティフル、バック・トゥー・ザ?

観客:フューチャー

確かこのような感じでしたよね。

簡単な英単語と当時はやっていた映画のタイトルの羅列なのですが、なぜかこのやり取りが大人気! スタジオにいる観客はもちろんのこと、テレビの前にいる私も心の中でこっそりと「ラジャー」と言っていた記憶があります。

大学卒業できたかどうかの発表会

この頃の森脇さんは、まだ大学生。そして、もうすぐ卒業を迎えるという時期でした。しかし、ある日番組内でこのような趣旨のことを言い始めたのです。

来年も大学生です。

正式にどのような言い回しだったかは忘れましたが、こんなにあっけらかんとして卒業できなかったとテレビで発表することにビックリしました。

俺様全開の誕生日

『ざまKAN』は月~金曜の生放送だったので、森脇さんの誕生日と放送日が重なることもありました。その時の若さからくる俺様感はなかなか凄まじいものが……。

「今日は俺の誕生日や! みんな祝ってくれ!」

番組中に何回か繰り返されるこのフレーズ。友人の母親が森脇さんと同じ誕生日なのですが、「私も誕生日やのに、なんであんたを祝わなあかんねん」と呟いていたのが忘れられません。

全国区時代

私が森脇さんの存在を知ってから数年。気がつけば、森脇さんは全国区のテレビで活躍されるようになっていました。

バラエティー番組 ― 『夢がMORI MORI』『笑っていいとも』等

ドラマ ―  『逢いたいときにあなたはいない』『おねがいダーリン』等

CM ― 「ギャッツビー」等

歌 ― 「真夏のファンタジー」等

私が覚えているものを書いたのですが、いろいろな番組で活躍されていましたよね。

なかでも好きだったのが、『逢いたいときにあなたはいない』というドラマです。このドラマは月9枠で放送されて、主演は中山美穂さん。当時の中山美穂さんと言えば、とにかく出るドラマのすべてが高視聴率と言っても過言ではないぐらいでした。

そのドラマに、森脇さんはまさかの三番手での出演。大阪の人気者だと思っていた人が、全国区の人気芸能人になったのだなと思い知らされました。

インパクトでいったら、ギャッツビーのCMですよね。「健ちゃんにシュッ!」「栄ちゃんにシュッ!」

吉田栄作さんと一緒にギャッツビーを吹きかけあっている姿を何度観たことでしょうか。

沈黙の時代

1990年代も後半になったある日、はたと気づいたのです。

詠山依麦子えいえむ
詠山依麦子えいえむ

「そういえば、最近、森脇健児をあまりテレビで観なくなったなぁ」

もちろん、森脇さんはこの時期もテレビには出演していました。ただ、これまでのように何気なくテレビをつけている時に見かける機会が減ったのです。

テレビの世界には次々に人気者が登場し、見かける機会が減れば記憶の片隅に追いやられていくもの。「森脇健児」という名前は私の脳のどこかに潜んだままその後は長き眠りにつきました。

復活の時代

いつの頃からでしょうか、再び森脇さんの姿を全国ネットで見かけるようになったのは。

オールスター感謝祭のミニマラソン、モニタリングのどっきり企画、バラエティー番組やドラマのゲスト出演などなど。

気が付けばスポットが当たると独特の存在感を示す大御所芸人として君臨をしていたのです。

現在の森脇健児について思うこと

この数年にわたる森脇さんのテレビでの様子を見ると感じることがあります。それは、私が10代の頃に見ていたスターにしきの時代の錦野旦さんの活躍を連想させるということです。

両者に共通するのは、バラエティー番組に一世を風靡した芸能人として登場すること。スポーツをすると、番組で求める以上に気合が入って熱くなる。トークをすると、思っている以上に人間臭い一面が垣間見える。そのギャップがとても面白いですよね。

しかし、この面白さというのは狙ってできるものではないと思うのです。視聴者の中に森脇さんや錦野さんのかつてのイメージがあるからこそ、「一時代を築いた人なのにこのような一面があるなんて」というギャップにつながるのではないでしょうか。

また、そのギャップは他の出演者にいじられることでさらに面白さを増していきます。時にはツッコミと失礼さのさじ加減がわからない若手を相手にすることもあるでしょう。それでも受け止める度量がお二人にはあるからこそ、視聴者も安心して見ていられます。

バラエティー番組において、トランプのジョーカー的なポジションで笑いの変化を与える切り札。それがかつての錦野さんであり、この数年の森脇さんなのです。

最後に

ここまで書いておいて言うのは何なのですが、私は森脇さんのファンではありません。それでも平成初期はテレビで森脇さんを見かければ『ざまぁKANKAN』の健ちゃんだと勝手に親しみを感じていました。

30年以上すぎてもテレビの世界で活躍することができる人は一握りだけ。学生時代に親しみを感じていた芸能人を、令和になっても見かけるのはとても喜ばしいことです。

今まで何気なくテレビで観ていた森脇さんですが、平成の時代を越えてテレビ界にいると考えるととても凄い方なのだと思い知らされます。テレビが元気だった時代を生き抜いたパワーで、これからも長く活躍してほしいですね。

  • この記事を書いた人

えいえむ(詠山依麦子)

アラフィフ非正規おひとり様/ブログは2006年から(長い休止期間を含む)/

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